2020年07月25日
【地域の史跡19 富田豊彦碑】
【地域の史跡19 富田豊彦碑】

場所:山王公園 北 もみじ平
冨田豊彦(万延元年(1860)3,4~昭和15(1940)11.18)は、国学者・神職。高山生まれ。
道彦の子、礼彦の孫。幼名は銀之丞。
號は文坡。祖父の礼彦を始め佐々木弘綱、山崎弓雄などに国学や和歌、漢学などを学ぶ。
日枝神社社司、斐太中学教諭など歴任。荏名門の文台を継承し門人を指導。『岐阜県大野郡史』編纂委員の一人。
従七位勲八等瑞宝章。著書『飛騨古今詠歌人名録』『まゆみ園集』など。
碑文は
「宇祢比山吹支都多部来天長閑那里三千登勢知加幾松可是乃聲
(畝傍山吹きつたへ来て長閑なり三千年ちかき松風の聲)」
という国学系の人が好んだ万葉仮名的表現を草書体で記したもので、本人の81歳の揮毫によるものである。
彼の没後、昭和16年に門人有志によって建立された。
参考文献:『日枝神社史』『飛騨人名辞典』
文責:KN

場所:山王公園 北 もみじ平
冨田豊彦(万延元年(1860)3,4~昭和15(1940)11.18)は、国学者・神職。高山生まれ。
道彦の子、礼彦の孫。幼名は銀之丞。
號は文坡。祖父の礼彦を始め佐々木弘綱、山崎弓雄などに国学や和歌、漢学などを学ぶ。
日枝神社社司、斐太中学教諭など歴任。荏名門の文台を継承し門人を指導。『岐阜県大野郡史』編纂委員の一人。
従七位勲八等瑞宝章。著書『飛騨古今詠歌人名録』『まゆみ園集』など。
碑文は
「宇祢比山吹支都多部来天長閑那里三千登勢知加幾松可是乃聲
(畝傍山吹きつたへ来て長閑なり三千年ちかき松風の聲)」
という国学系の人が好んだ万葉仮名的表現を草書体で記したもので、本人の81歳の揮毫によるものである。
彼の没後、昭和16年に門人有志によって建立された。
参考文献:『日枝神社史』『飛騨人名辞典』
文責:KN
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Posted by 山まち at 08:00│Comments(0)
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