2020年07月06日
【地域の史跡12 曽我秀文の住居地】
【地域の史跡12 曽我秀文の住居地】



場所;石浦町1丁目(字坂口)
石浦町1丁目にある。室町時代に日本に渡来した明国人の曽我秀文(生年不詳~享禄3(1530)8.25享年79)が住んだ場所。
曽我秀文は初め越前に住み、白川郷を経て飛騨(石浦村坂口)に移り住んだ。現在も曽我秀文が住居としていた場所が石浦町に残っており、その土地の上に建物が建てられ、遺跡が残っている。
秀文は医術に長け、農業にも詳しく里人の尊敬を集めたため、祭神として祀られたという。
昭和57年に中国大使館の公使が来高した際にこの地を参詣し、感激されたという逸話が残っている。
参考文献:『高山市史』『飛騨人物辞典』
文責:KN
場所;石浦町1丁目(字坂口)
石浦町1丁目にある。室町時代に日本に渡来した明国人の曽我秀文(生年不詳~享禄3(1530)8.25享年79)が住んだ場所。
曽我秀文は初め越前に住み、白川郷を経て飛騨(石浦村坂口)に移り住んだ。現在も曽我秀文が住居としていた場所が石浦町に残っており、その土地の上に建物が建てられ、遺跡が残っている。
秀文は医術に長け、農業にも詳しく里人の尊敬を集めたため、祭神として祀られたという。
昭和57年に中国大使館の公使が来高した際にこの地を参詣し、感激されたという逸話が残っている。
参考文献:『高山市史』『飛騨人物辞典』
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Posted by 山まち at 08:00│Comments(0)
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