2020年05月31日
【地域の史跡7】 上山王宮 日枝神社跡 (片野町公園)
【地域の史跡7】 上山王宮 日枝神社跡 (片野町公園)

上山王宮の由緒として、地元の敬神会の作成した看板には次のような記述となっている。
「上山王宮由緒 白弊社 高山市片野町五丁目一番地
上山王宮秋葉神社は慶長十年(1605)高山城主となった金森長近が、当時片野村の産土神であった山王宮を城の守護神とするため、
杉ヶ平から現在の日枝神社鎮座地へ奉遷した。
そのため村人たちは永年崇敬してきた産土神である山王宮の御分霊をこの場所に奉安し、上山王宮と称し九月二十六日を例祭日と定めた。
そしてたまたま当社社殿の傍らに勝久寺の説教所の御堂があった事から誰いうとなく人々は堂の前(どうのま)神社、あるいは堂の前祭り
などと言うようになった。
時移り人変わり明治三年全国的に神社登録が行われた際、日枝神社神職であった松樹鍋友は何故か秋葉神社として報告した。
しかしこの報告以前に当社を秋葉神社とする資料は見当たらない。蓋し幾多の紆余曲折や有為転変に遭遇しながらも四百余年にわたって
神社は常に片野住民の慎警と融和の心に支えられ、守り継がれて現在に至っている。
尚、昭和45年以降は例祭日を毎年九月第三日曜頃としている。
平成十年七月佳日 片野町敬神会建之」

なお、この公園には、大原騒動で殉死した片野村民の慰霊碑もある。
参考文献:「上山王宮敬神会 看板」
K.N.
上山王宮の由緒として、地元の敬神会の作成した看板には次のような記述となっている。
「上山王宮由緒 白弊社 高山市片野町五丁目一番地
上山王宮秋葉神社は慶長十年(1605)高山城主となった金森長近が、当時片野村の産土神であった山王宮を城の守護神とするため、
杉ヶ平から現在の日枝神社鎮座地へ奉遷した。
そのため村人たちは永年崇敬してきた産土神である山王宮の御分霊をこの場所に奉安し、上山王宮と称し九月二十六日を例祭日と定めた。
そしてたまたま当社社殿の傍らに勝久寺の説教所の御堂があった事から誰いうとなく人々は堂の前(どうのま)神社、あるいは堂の前祭り
などと言うようになった。
時移り人変わり明治三年全国的に神社登録が行われた際、日枝神社神職であった松樹鍋友は何故か秋葉神社として報告した。
しかしこの報告以前に当社を秋葉神社とする資料は見当たらない。蓋し幾多の紆余曲折や有為転変に遭遇しながらも四百余年にわたって
神社は常に片野住民の慎警と融和の心に支えられ、守り継がれて現在に至っている。
尚、昭和45年以降は例祭日を毎年九月第三日曜頃としている。
平成十年七月佳日 片野町敬神会建之」

なお、この公園には、大原騒動で殉死した片野村民の慰霊碑もある。
参考文献:「上山王宮敬神会 看板」
K.N.
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Posted by 山まち at 08:00│Comments(0)
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