2020年05月30日
【地域の史跡6】 舊山王宮跡 昔の日枝神社
【地域の史跡6】 舊山王宮跡 昔の日枝神社

『日枝神社史』によれば、平清輔朝臣によって城の鎮護神として祀られていた「日吉神」はその後、片野の里人の産土神として祀られていた。その場所は、飛び地としての社有地で、日枝神社が現在地に奉遷されるまで鎮座したばしょであった。このちは往年二之町村に住んでいた
大坂屋太右衛門所有の地で、万延元年(1860)12月に自分の持山分に併せ、隣接地を購入して日枝神社に寄進した。
その杉ヶ平の周辺部1町四反12歩となっている。近年は地元の敬神会によって碑が建てられ、「元山王跡」として後世に伝えられていたが、平成29年現在この碑はどこにも見当たらず地元の人も御存じなかったが、今でも山林の中に石碑が存在している。

この場所では、例大祭の時に旗が建てられることになっており、普段は木を三又に組んだ旗台がある。
参考文献:『日枝神社史』
K.N.
『日枝神社史』によれば、平清輔朝臣によって城の鎮護神として祀られていた「日吉神」はその後、片野の里人の産土神として祀られていた。その場所は、飛び地としての社有地で、日枝神社が現在地に奉遷されるまで鎮座したばしょであった。このちは往年二之町村に住んでいた
大坂屋太右衛門所有の地で、万延元年(1860)12月に自分の持山分に併せ、隣接地を購入して日枝神社に寄進した。
その杉ヶ平の周辺部1町四反12歩となっている。近年は地元の敬神会によって碑が建てられ、「元山王跡」として後世に伝えられていたが、平成29年現在この碑はどこにも見当たらず地元の人も御存じなかったが、今でも山林の中に石碑が存在している。

この場所では、例大祭の時に旗が建てられることになっており、普段は木を三又に組んだ旗台がある。
参考文献:『日枝神社史』
K.N.
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Posted by 山まち at 08:00│Comments(0)
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