2020年07月11日
昔の山王地区 かまくら水泳場
昔の山王地区 かまくら



(写真提供:『飛騨の昭和』所収)
中橋の上流で、枡形橋の下流の所に、昔水泳場があった。
川を堰き止めて、子どもの胸の高さくらいまでの水たまりをつくり、そこで「水あべ」をした。
高山市の学校にプールができ始めるのが昭和37年と遅く、それまでは高山市で指定した川を堰き止めた水泳場があり、そこで泳ぐことになっていた。ただし、自然の川なので事故も多く、何人もの人が水難事故に遭っている。そのため、高山市では小学校のプールを建造する事に拍車がかかり、各地の小学校にプールが作られていった。
山王地区では、記録によると昭和25-6年頃に校庭の南西隅に木枠を組み、ビニールを敷いたところに水を貯めたプールを造った時期もあったが、維持管理が難しく、石浦の上流の赤岩。市民住宅裏の五ケ村用水の取水場。中橋下のかまくらに水ダメを造り、そこをプールとして利用した。
かまくらでは、利用客が多くなり、貸しボートを営む者も出て来て、ボート乗り場があった。
文責:徳積善太(KN)



(写真提供:『飛騨の昭和』所収)
中橋の上流で、枡形橋の下流の所に、昔水泳場があった。
川を堰き止めて、子どもの胸の高さくらいまでの水たまりをつくり、そこで「水あべ」をした。
高山市の学校にプールができ始めるのが昭和37年と遅く、それまでは高山市で指定した川を堰き止めた水泳場があり、そこで泳ぐことになっていた。ただし、自然の川なので事故も多く、何人もの人が水難事故に遭っている。そのため、高山市では小学校のプールを建造する事に拍車がかかり、各地の小学校にプールが作られていった。
山王地区では、記録によると昭和25-6年頃に校庭の南西隅に木枠を組み、ビニールを敷いたところに水を貯めたプールを造った時期もあったが、維持管理が難しく、石浦の上流の赤岩。市民住宅裏の五ケ村用水の取水場。中橋下のかまくらに水ダメを造り、そこをプールとして利用した。
かまくらでは、利用客が多くなり、貸しボートを営む者も出て来て、ボート乗り場があった。
文責:徳積善太(KN)
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Posted by 山まち at 08:00│Comments(0)
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